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岡山地方裁判所 昭和43年(わ)804号 判決 1975年3月28日

主文

被告人を懲役三月に処する。

この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

理由

(本件犯行に至る経緯)

被告人は、昭和四〇年四月岡山大学に入学し、同大学法文学部文学科の学生であったものであるが、昭和四三年五月ごろ、以前から岡山市津島所在の同大学事務局農学部本館東側の道路(国道五三号線と岡山市道M二一号線(通称東西道路、以下、東西道路という。)とを結ぶ道路で通称岡山大学南北道路)上を自衛隊三軒屋駐屯地より弾薬を輸送する自衛隊の輸送車やジープ等が通行していたことから、同大学学生M、同Sらが中心となって、右南北道路は大学の構内の一部であり、また弾薬を積んだ輸送車の通行は危険性が強いとして右通行に反対し、抗議すべく、弾薬輸送を阻止する会を結成し、被告人も右Mらの唱える趣旨に賛成して同会と関係を持つことになった。そして被告人は同年七月四日同会の中心的人物であったMらとともに、南北道路上を自衛隊の輸送トラックが通行していることに対する大学側の態度をといただすため、同大学赤木五郎学長と会見をしたのであるが、その際同学長より、大学としては、自衛隊に対し、輸送車等の車両が南北道路を通行しないよう申し入れる旨の約束をとりつけ、また右会見の席上、パトカー等警察の車両の通行についても問題が提起され、大学として警察署に対し同様の処置をとる旨の約束をもとりつけた。

その後、同年九月一七日、右弾薬輸送を阻止する会を中心とした岡山大学自治会連合会主催の「自衛隊弾薬市内輸送反対デモ」が行なわれ、同大学学生約二六名がこれに参加して同大学より自衛隊三軒屋支処までデモ行進し、同支処正門前付近で集会を開いた後同日午後五時五〇分ごろ同所を出発し、デモの解散地点である同大学に向ったのであるが、被告人も同支処前の集会に参加したあと、デモの隊列には加わらなかったものの、デモ隊の後方で自転車を押しながら同大学に向った。デモ隊は、同支処正門前より妙善寺方面に通じる前記東西道路を西進し、同大学法文学部前の交差点を左折して前記南北道路に入り南進していたのであるが、同日午後六時ごろ、デモ隊の最後尾にいたデモ隊の旗手が、右交差点より約一〇メートル南北道路に入った地点において、デモ隊の背後から同道路を南進していた一般人の運転する普通乗用自動車のフロントガラスに旗を垂らせかけてこれを停車させた。

そこで同交差点で交通整理をしていた岡山西警察署外勤課勤務荻野秀生警部補は、これを目撃して同交差点より約五メートルぐらい南北道路に入り、その旗手に対し交通を妨害しないよう警告を発したところ、その旗手らデモ隊員四、五名が同道路中央付近にいた同警部補に近づき、同警部補に対し、右南北道路に立ち入ったことに抗議するとともに旗竿を横にかまえて胸部を押すようにして同道路東側の歩道に追いあげ右荻野の職務を妨害した。丁度そのころ、右デモの警備に出動し、右デモ隊の約五〇メートル後方を追従西進していた岡山西警察署警備課長堤益男警部らの乗車したパトカーが同交差点に差しかかり、右状況を目撃した同警部は右学生らの荻野警部補に対する行為に警告を発し、これを制止すべく、パトカーの運転手原田慎治巡査に指示して同交差点を左折して南北道路に入り、同交差点より約一〇メートル南北道路に入った地点で停車させた。そして右堤警部がパトカーから降りて直ちに右現場に至り右荻野と学生らの間にわって入ったところ、右荻野に抗議していた四、五名のデモ隊員より同様の抗議をうけ、その後、再び右パトカーに乗車して同道路外に出ようとしたのであるが、そのとき南北道路を南進中のデモ隊は同道路上に停車中の同パトカーに気づいて引き返し、同パトカーの周囲をとりかこむような形で口々に、右堤警部らに向って南北道路に入ったことについて抗議するとともに一部の者はパトカーの車体をたたいたり、蹴ったりし、あるいはバンパーを持ち上げるなどして右堤警部らの職務を妨害した。また前述のとおりデモ隊の後方で自転車を押しながらデモ行進に加わっていた被告人も右交差点手前でデモ隊と別れ、通用門を通って同大学構内にある学生会館まできたとき、右デモ隊の騒ぎに気づいてかけつけ、デモ隊員らとともに前記パトカーの立ち入りについて抗議をした。これと相前後して、付近を通行中の学生らも三々五々、右パトカーの周囲に集まって右デモ隊員らの抗議に加わりしかもこの間、パトカーの運転手原田巡査がパトカーを取り囲んでいた学生の一人から顔面を殴打されて職務の妨害を受けたこともあって、同日午後六時一五分ごろ、右堤警部は、自力で同道路外へ出ることができないと判断し、無線で岡山西警察署の警備本部に警備要請をした。

そして、右警備要請に応じて同日午後六時一八分ごろ、岡山西警察署岩崎警部の率いる機動隊員約三五名が右学生らの堤警部に対する行為を制止すべく前記交差点より南北道路上のパトカー付近にかけつけ、パトカーの周囲にいた学生らの排除活動を開始した。

(罪となるべき事実)

被告人は、前記のとおり岡山大学南北道路に入ってきた岡山西警察署のパトカーに対し抗議していたところ、同年九月一七日午後六時二〇分ごろ、右パトカーを取り囲み車体をたたきあるいは蹴るなどした学生らを制止すべく右パトカーの後方付近において右学生らを同道路東側歩道に押しあげるなどの規制作業をしていた同署巡査中尾勝彦(当時三〇年)に対し、その肩部を一回殴打し、その右手首をつかんだのち氏名不詳の四、五名の学生と共謀のうえ同巡査を引っ張り、右学生らにおいて同巡査の腰部等を殴打、足蹴にする暴行を加え、もって同巡査の右職務の執行を妨害するとともに、右暴行により同人に対し、加療約三日間を要する腰部打撲症の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(弁護人の主張に対する判断)

一、被告人は、前記中尾巡査に対して暴行を加えたことはない旨主張し、弁護人も、被告人から暴行を受けたという中尾勝彦及び右暴行を目撃したという池上正の各証言はいずれも信用できない旨主張するとともに、さらに弁護人は、仮に被告人が中尾勝彦に対して暴行を加えたとしても、1学問の自由の一内容として大学の自治を認めた憲法二三条の趣旨にかんがみれば、大学構内における集会、集団行進、集団示威運動等の取り締まりについては、当該学長が第一次的に措置することを建前とすべきであって、警察官が大学の要請なくして勝手に大学構内に立ち入ることは許されないというべきであり、本件の発生した南北道路は、岡山大学の学校用地の一部として即ち、岡山大学構内を構成するものとして同大学が管理維持しているものであり、大学の設置目的を達成するための施設の一部をなしているものであるから、同道路に警察官が立ち入り、権限を行使するについては事前に大学側の了解を求める必要があるところ、前記荻野警部補、堤益男警部らの乗車したパトカー及び中尾勝彦巡査ら機動隊員はいずれも事前に大学側の了解を求めずに無断で立ち入ったものであり、またいずれも警察官職務執行法(以下警職法という。)五条の要件が存しないにもかかわらず大学構内に侵入して権限を行使したものであり、ことにパトカーの立ち入りに対する被告人ら学生の抗議行動に対し、中尾ら多数の機動隊員によってこれを排除したのは必要な権限行使の範囲を逸脱したものであって、右中尾の排除行為は違法というべく公務としての適法性を欠き、公務執行妨害罪で保護される公務に該当せず、2被告人の行為は、憲法上保障された大学の自治を守るため緊急やむを得ずなされたものであり、その手段、方法も相当であり公務執行妨害罪、傷害罪のいずれについても違法性が阻却されるべきであり、3大学の構内であると知りながら大学の了解なくして立ち入った右警察官らの立ち入りについての経緯、権限行使に至った経緯、内容、程度、被告人の行為の目的、態様等に照らせば、公務執行妨害、傷害の各罪についての可罰的違法性はないのであって、以上いずれの点から考えても被告人は無罪である、旨主張する。

二、1 まず被告人の中尾勝彦に対する暴行の存否等について。

被告人は、当公判廷において右中尾に対する暴行を否認するが、被害者である証人中尾勝彦は、被告人から肩を殴り右手首をつかんで引っ張るなどの暴行を加えられた旨供述し、また証人池上正は、右状況を目撃した旨供述するので、結局暴行の存否は右各供述の信用性によって判断されることとなる。そこで各供述の信用性について検討することとする。

本件の被害者である証人中尾勝彦巡査は、公判廷において被告人から被害を受けた当時の状況について、「パトカーの回りにいた学生をパトカーの前と後に分かれて排除にかかったが、自分はパトカーの北側(パトカー後部)で排除活動を行なっていたところ、旗竿を横にして三、四名の学生がスクラムを組むようにして押してきたので、両手を前に広げて、前にいた学生の肩の辺を押して歩道までさがらせた。そのときすぐ前で向い合っていた学生が右手を振りあげて左の肩を一回殴ってきた。その男は白カッターシャツの学生で眼鏡をかけていた。それからその男は両手で自分の右手首を持ってデモ隊の方に引き込むようにし、そばにいた学生四、五名もこれに加勢して腰や背中を押して学生の方に引き込み、背中や腰を突いたり、殴ったり蹴ったりした。それで自分は相手の男を逮捕しようと思って右手首をつかまれたまま左手で相手の左手首をつかみ返し逆に両手で相手の左手首をつかみうしろから同僚の機動隊員に帯革を引っ張ってもらって助け出されると同時にその男を逮捕した。」旨供述する。これによれば、中尾巡査は自己の右手首をつかまれたままの状態で逆に相手の男の左手をつかんで逮捕したというのであるから、同巡査は一度も相手の男から離れていないのであって、同巡査の右手首をつかんで引っ張った男と同巡査が逮捕した男とは同一人であったことが明らかであり、他の学生と見誤ることはなかったものといえる。また、右供述によれば、最初肩を殴られたときには同巡査は目前で相手の男と向い合っていたというのであるから、相手を十分に特定識別し得る状況にあったものと考えられ、同巡査の肩を殴った男と同巡査の右手首をつかんで引っ張った男とは同一人であることが明らかであり、他の学生と見誤ることはなかったものといえる。

そうだとすれば、同巡査の相手方の同一性についての証言には何の疑いも存しないものといわなければならない。また、犯行現場についても、右中尾はパトカーの後部である旨供述するところ、被告人もパトカーの後部にいた旨供述しており、ほぼ一致しているのである。

かような点よりして、被告人から暴行をうけた旨の右中尾の供述は、その他犯行当時の状況についても具体的であって、十分に信用ができるものというべきであり、ことさら被告人を罪に陥れようとするものとは到底認められない。もっとも、右中尾の供述中の一部、例えば右中尾が右手首をつかまれて引っ張られた際にみた相手の体の部分に関する供述には、弁護人の主張するとおり若干混乱がみられるが、前述のとおり相手の男の同一性に関する証言にはいささかの混乱もないのであるから、犯人の同一性に関する同巡査の証言には、疑いを生ぜしめ信用性を失なわせる余地は存しないものというべきである。

しかも、被告人から暴行をうけた旨の同巡査の供述は、証人池上正の証言によっても裏付けられる。即ち同証人は、「小隊長からパトカーの回りにいた学生の排除活動についての命令をうけた後パトカー右側のドアの把手をつかんでいた学生を引きはなし、その学生の肩を押しながらパトカーの後部に回って歩道に押しあげた際、歩道に立って左後ろをみたとき、眼鏡をかけた白いカッターシャツの男が手を振りあげて機動隊員の肩の辺りをたたいた。たたいたと思ったらずっとその機動隊員を歩道側に引き込み、同時に五、六名の学生がたかってきて横からたたいたり蹴ったりした。」旨供述しているのである。そして右供述は、前記中尾巡査の供述とほぼ一致し、また目撃した犯行状況についても具体的であり、その内容からすれば犯人を特定識別することは十分に可能であったものということができる。従って右池上の供述は十分に信用するに足るものというべく、これまた、ことさら被告人を罪に陥れようとしてなされた供述とは認められない。

これに反し、被告人は逮捕された際の状況について、「パトカーが南北道路に入ってきているのに気づいてこれに抗議すべく、パトカーの停車していた地点まで行き、パトカーの南側(パトカーの前側)に回って『帰れ、帰れ』といって抗議し、さらにパトカーの西側に回って抗議していた。そのころ南北道路北側の交差点から機動隊が同道路に入ってきた。そして機動隊員とパトカーの間にはさまれそうになったのでパトカーの北側(パトカーの後部)に回り東の方向に行こうとした際、パトカーの後ろで機動隊に押さえつけられ、体が中腰になったところ、左腕をつかまれて西の方にどんどん引っ張られていったが途中まで誰に引っ張られるのかわからなかった。引っ張られる途中相手が機動隊員であることがわかったが、当時付近は学生と機動隊員とで混乱し、またそのとき体が中腰になっていて頭が下を向いていたため、相手の機動隊員の顔を確認することができなかった。西方に引っ張られていく途中『こいつだ、こいつだ』という声がしてはじめて自分が逮捕されかけたと思い抵抗したがそのまま逮捕された。」旨供述する。右供述によれば、被告人は西の方に引っ張られていく途中までは、誰に引っ張られているのかわからず、相手が機動隊員であるとわかってからも、その機動隊員の顔をみていないというものであり、たしかに学生らと機動隊員とが混乱していたとはいえ、どんどん引っ張って行く相手方をみないもしくはみえないということは不自然である。機動隊員と直接対峙していたとすれば、相手が誰であるかは容易にわかるであろうし、学生の渦の中にいたとしても腕をつかまれて引っ張られるということは重大な関心事であるから、腕をつかまれた直後には自然に相手に注目するのが通常である。

その他腕を引っ張られた際の状況についての供述も混乱していたとはいえ、不明瞭で具体性に欠ける。

かような点からみて被告人の右供述はにわかに措信することができない。

以上検討したところによれば、被告人は、暴行を否認するが、右中尾、池上の各証言はいずれも信用できるから、被告人が本件暴行を加えたものと認定するに十分である。

従って右被告人、弁護人のこの点の主張は採用できない。

2 次に右弁護人の違法性阻却等についての主張について検討する。

弁護人所論のとおり、憲法二三条により保障される学問の自由を確保するため認められた大学の自治の効果として、警察官は、一般犯罪捜査活動たると警備情報収集活動たるとを問わず、緊急やむを得ない場合、大学当局の要請ある場合及び司法令状に基づく場合を除いては、いわゆる大学構内でその職権を行使することは許されないものと解されるけれども、具体的に特定の場所への立ち入り行為の許否を判断するに当っては、当該場所が大学の管理地であるか否かのみでなく、その日頃の利用状況、付近における研究施設の配置状況等をも斟酌して、警察官の立ち入りにより一般的に学問の自由に対する脅威を惹起する場所であるか否かを検討しなければならない。

かような観点から本件について考察するに、前認定のとおり中尾巡査ら警察官が立ち入ってその権限を行使した場所は、通称南北道路とよばれ市道と国道とを結び大学の建物等のあるいわゆる大学構内の間にある道路であって、検察官は右南北道路は一般通行の用に供されていることなどから実質的には市道である旨主張し、弁護人は大学構内の一部である旨主張するので右南北道路の性質について検討する。

≪証拠省略≫によれば、現在岡山大学が存在する岡山市津島国有無番地の約二〇万坪の土地は、もと旧陸軍省の管理下にあり、第一七師団等の軍用施設として利用され、明治三九年師団が設置されたころに、右南北道路が東西道路とともに同敷地内に作られたものであるが、終戦とともに右土地が大蔵省に引き継がれた後、昭和二四年国立学校設置法が施行され、その中に岡山大学が設置されることになって大蔵省から文部省に所管替され、以後岡山大学が管理し、学校用地として利用しているものであること、そして東西道路、南北道路も岡山大学が管理していたのであるが、東西道路については昭和三七年岡山市と大学当局との話し合いにより大学が用途廃止手続をとり、文部省から大蔵省さらに岡山市へと所管替えがなされたうえ、岡山市道として認定されたが、このころ、大学側から南北道路についても東西道路と同様に市道として認定されたい旨の申し入れがなされたが、大学の象徴として南北道路上に門柱を建てたいとの条件を持ち出したため、岡山市の容れるところとならず、結局、用途廃止がなされず従前どおり大学側が管理していたことが認められる。

そして、≪証拠省略≫によれば、南北道路は東西道路とともに旧陸軍省の管理下にあったときから付近住民らは勿論一般市民の通行の用に供され(その目的で作られたものである。)ており、同大学の管理下におかれてからも従前と同様に一般市民の通行の用に供されており、市民は、昭和四三年九月一八日頃に学生が本件被告人の逮捕を楔機として南北道路を封鎖するまで大学側から通行に関して何ら制限をうけたことがないこと、また同道路を以前一時期路線バスが走っていたこともあり、昭和三八年四月からは県の公安委員会により車両の最高速度を四〇キロメートル毎時とする交通規制が公示され、さらに同道路が国道五三号線に通じていることもあって同道路を通行する一般の車両、歩行者も相当多く、交通事故も本事件当時年間約一〇件ぐらい発生していたこと、本件発生までは、警察官は、他の公道におけると全く同様に、パトカー、白バイ、徒歩等の手段によって南北道路に自由に立ち入って交通取締・交通事故の処理・一般警邏等の職務に従事しており、これに対し大学当局や学生から何らの抗議もなされたことがなかったことが認められ、また当裁判所の検証調書によれば、右南北道路の両側端には、いずれも相当程度の側溝が構築され、またブロック積、生垣等も設置されて、それらにより、右南北道路は、その両側にある農学部建物・大学事務局・体育館や学生会館各敷地とは截然と区画されている客観的状況にあることが認められる。それのみならず、当裁判所の検証調書により認められるとおり、大学敷地は東西に幅広く、付近住民の南北の往来には右道路を利用する必要性が極めて大きいものであり、地域住民と共存すべき大学としては、過去の経緯上右道路の通行を認めるという消極的態度にとどまらず、積極的に右道路を地域住民の利便に供すべきであるといわざるをえない。

以上検討したところによれば、南北道路は大学の管理下にあるけれども、大学の研究・教育施設の敷地とは側溝・ブロック積、生垣等で截然と区画された公道に準ずる性格をも有するものであるから、同道路への警察官の立ち入り、権限行使は純然たる研究・教育施設及びその囲障地内における場合と同列に論ずることはできず、しかも前認定のとおり中尾巡査らの警察官が立ち入り、権限を行使したのは南北道路上の東西道路との交差点より約一〇メートル以内の場所であるから、後記のとおり警察官の職務の正当性にかんがみれば、右場所における警察官の立ち入り、権限行使が学問の自由、大学の自治に対する侵害であり脅威であるとは到底認められない。

次に中尾巡査ら機動隊員の立ち入り及び権限行使の正当性について検討する。

中尾巡査らの立ち入り、権限行使は前記岡山西警察署のパトカー、さらにはその前の荻野警部補の立ち入りを前提とするものであるから、まず荻野警部補の立ち入り、権限行使についてみるに、前認定のとおり、荻野警部補は、デモ隊の後方にいた旗手がその後方から進行してきた一般車両のフロントガラスに旗を垂らせかけてその通行を妨害する行為を目撃したので、これに対し同道路に立ち入って警告を発したものであるが、右旗手の交通妨害は道路交通法七六条三項に該当するものであり、右荻野がこれに警告を発することはまさに警職法五条に基づく正当な職務である。

次にパトカーの立ち入り、堤警部らの権限行使についてみるに、前認定のとおりパトカーに乗車した堤警部らは、右荻野が三、四名の学生から抗議をうけ旗竿を横にして後ろに押されている状況を目撃し、これを警告、制止すべく、同道路に乗り入れ、堤警部が両者の間にわって入ったものであるところ、堤らが右荻野に対する学生らの公務執行妨害行為に対し警告あるいは制止することは警職法五条に基づく正当な職務の執行というべきものである。

そこで最後に、中尾巡査ら機動隊の立ち入り、権限行使について検討するに、前認定のとおり、中尾巡査ら機動隊員約三五名は、学生らが南北道路に立ち入った前記パトカーの周囲を取り巻いて車体をたたいたり、蹴ったり、バンパーを持ち上げ、さらに運転手原田巡査の顔面を殴打するなどして堤らの職務の執行を妨害したので、右学生らを排除し右パトカーを安全に同道路から脱出させるため同道路に立ち入り、学生の規制にあたったのであるが、これは、右堤警部らに対する学生らの公務執行妨害行為を制止するものであって、これもまた警職法五条に基づく正当な職務である。

そして、当時デモ隊員を含め約四〇名の学生が右パトカーの周囲にいて口々にパトカーに乗車していた警察官に対し抗議していたものであり、右抗議の状況は前認定のとおりであったから、これを排除するため約三五名の機動隊員がその任にあたったとしてもそのことが警察比例の原則に反するものとはいえず、排除の方法としても、右中尾巡査は、パトカーが同道路から脱出できるように学生の胸部を押して車道から歩道まで排除したのであって警職法五条にいう制止として相当であり、その域を逸脱したものではない。

従って、右中尾巡査ら機動隊員の権限行使は、警職法五条に基づく正当な職務の執行であるというべく、この点の弁護人の主張は採用できない。

以上検討したとおり、南北道路の性質、警察官が立ち入り、権限を行使した場所、権限行使の目的、態様等の正当性を勘案すれば、中尾巡査ら警察官の立ち入り、権限行使は大学の自治に対する侵害、脅威とは認められず、右権限行使にあたっていた中尾巡査らに対して加えた被告人らの行為は違法性が阻却されないものといわなければならない。

また、被告人がパトカーが大学構内に立ち入ったとしてこれに抗議し、その後引き続いて立ち入った機動隊員に対し抗議する過程で本件がなされたものであり、当時岡山大学の学生であった被告人の心情には理解できる面がなくはないが、前述のデモ隊旗手の交通妨害を発端とする本件犯行に至る一連の経過、諸事情、本件犯行の態様等を勘案すれば被告人の行為が可罰的違法性を欠くものとは認められない。

以上により被告人の行為は違法性が阻却される等の弁護人の各主張はいずれもこれを採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為中、公務執行妨害の点は刑法六〇条・九五条一項に、傷害の点は同法六〇条・二〇四条・六条・一〇条・昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段・一〇条により一罪として重い傷害罪につき定めた懲役刑で処断することとし、その刑期の範囲内で被告人を懲役三月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定の日から一年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺宏 裁判官 前田博之 裁判官大森政輔は転任につき署名押印することができない。裁判長裁判官 渡辺宏)

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